僕は、うつ病になってしまった。
朝起きることが出来ないし、何もやる気が出ない。
妻にパートに出てもらって、日中は独りきりだ。
そんなおり、ウチの大家さんが番犬を飼うことにしたと言う。
大家さんは老夫婦で、1階に住み、2階を私たちに貸してくれている。
芝生の広い庭があり、番犬のゲンは放し飼いで走り放題だ。
シェパードの雑種で、黒く青い目をした可愛い子犬、チョコチョコ動く様子を見ているだけで癒される子だ。
そんなゲンと僕がボールで遊んだりする様子を、大家さんはお茶を飲みながら微笑ましそうに眺めている。
「私たちは歳だから、遊んでくれて助かるワ!良かったら、散歩にも連れて行ってくれない?」
僕は、うつ病になってから人と会うのも抵抗を感じて、引きこもっていたから悩んだ。
でも妻に話すと、
「いいじゃない!少し体を動かすのも治療になるみたいよ!朝起きれないなら、夕方走れば!誰かと話さなくちゃいけない訳でもないしね〜」
と、軽く言われてしまった。
「そうか…独りでジョギングよりゲンが一緒なら心強いかもな〜。」
そんな感じで、私の予定に「毎日ゲンと散歩する」が組み込まれた。
僕が外に出るだけでゲンは嬉しさを前面に出し、右左とジャンプして、「散歩?散歩?」と前のめりだ。
「分かった!分かったよ!今行くから!」
と言いながら、自然と自分が喜んでいる事に気付いた。
今、この世の中で、こんな僕を必要としてくれているゲン!
そんなゲンの存在が今の僕にはとっても大きな支えになっていた。
ゲンが大きくなるにつれて、散歩コースも長くなった。
走るスピードも速くなり、イイ汗をかいて、本当に気分がいい!
そんな毎日を繰り返したおかげで、いつのまにかうつ病もだんだん良くなってきて、次第に朝も起きれるようになってきた。
でも同時に最近、ゲンは門の金具を外すことを覚えてしまった。
まだ子供のゲンは、好奇心もあり、あっちこっちウロウロしたいのだ。
ある日、いつものようにゲンと散歩に行こうと外に出ると、ゲンの姿が無かった。
また、勝手に出て、隣の空き地に縮こまってるだろうと思って行ったが、外にもゲンはいなかった…!
“どこに行ったんだろう?”
内心、嫌な予感がして、思い当たる場所を探してみたが、見当たらない。
背中に嫌な汗を感じながら、手当たりしだい走り回った。
「ゲーン!ゲーン!」
いない。いない。いない…。
自分にとってゲンがいかに特別な存在なのか!
その時やっと気づいた。僕は涙目になりながら探した。
やがてあたりがすっかり暗くなってしまったので、落ち込んで家にとぼとぼと帰りはじめた。
すると、家の前の道に来た時、
「ワン!ワン!ワン!」
とゲンの声!
僕はゲンに駆け寄った!
「どこにいたんだ〜」もう涙が溢れてくる。
そこへ、ゲンの声を聞きつけた大家さんと妻がこれまた涙目で迎えてくれた。
少し冷静になって、よく見たら、ゲンと一緒にいるのはお巡りさんだった!
「並木通りの焼鳥屋さんの前に座っていたんですよー。なんか見たことあるな〜と思って、首輪見たら、ここの住所が書いてあったからね〜」
そうか、町の方に行ってたのか!反対方向だったなぁ〜と思っていたら、
妻からものすごい勢いで叩かれた!
「どこ行ってたのよ!携帯も持たないで!もう、ゲンと一緒にいなくなちゃって!心配したんだから!」
大家さんも話し出す。「ほんと奥さんすごく心配されていたのよ。いろんな所に電話して。もし自サツしてたらって警察に連絡しようかって言ってたんですよー」
そうか、そういえば僕は必死で、妻に何も言わずに飛び出したんだった。
僕はゲンを泣いて探していたけれど、妻は僕を泣きながら探していたんだ。
ごめんね。ありがとう。。。
お巡りさんが、大家さんに確認した。
「じゃあ、このワンコ、あなた(大家さん)のワンコで間違いないですねー」
大家さんが答える「いや〜。このゲンはこちらの若いご夫婦の登録になっています」と言うではないか!
「え!どう言う意味?ゲンは大家さんの、、」
と言いかけたところで、妻が答える
「はい、私たちの子です!」
「えーー」
実は、大家さんは妻から、うつ病になった僕を元気づけようと、ワンコを飼ったように演技してもらえないかと持ちかけられたそうだ。
そう、実はゲンは妻が飼ったうちの子だったのだ。
この幸せの作戦を知らなかったのは僕だけだった。
そうか妻、大家さん、ゲン、みんなで僕をサポートしてくれていたんだね。
僕はなんて幸せ者なんだ!
そして改めてゲンは僕のゲンになった事を知ってしっかりと抱きしめた。
大好きな奥さんも一緒に!
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